和田勉さんを悼む
2011年 01月 18日
朝、抗がん剤治療のため、夫に病院へ送ってもらう車の中、偶然にも和田勉さんの話題があがっていました。治療は、朝から午後までかかるので、その日は夫が運転手ということで....
「勉さんから、年賀状届いた?」、それは、不意に夫の問いかけから始まったのでした。
「ううん、この数年ないのよ。TVにも出てないし、病気なのかな~」
そういえば、数年前、最後にいただいた勉さんからの年賀状は、元旦から1ヶ月近く過ぎた頃、それもかなりかぎ文字になっていて、一生懸命書かれた感じでした。
勉さんとの出会いは、たったの2回。でも、この2回とも今も鮮やかに私の心に蘇ってきます。
*あるトーク会での初めての出会い
NHK時代、次々と人気ドラマを生み出し、かつてないテンポのよさと、俳優のクローズアップ多用による独特の演出手法、心のひだに迫る人物描写、演技の一回性を大事にする演出法等、新境地を切り開いた勉さんに、当時深く敬意を持っていたこと、また、大好きだった夏目雅子さんが、突然大成長した影に勉さんありと、こちらにも大変興味があったことで、この初めての出会いは、私にとってもその後の人生を変える大きなインパクト・転機となりました。
私の僅かな話から、何かを感じ取られた勉さんのひと言は、 「今までの自分を全部壊しなさい」 と。
その当時、夫は、突然商社を退社、その後8ヶ月単身タスマニアへ、帰国後転職。その間、自宅3階建増しと各部屋改装、長女eizchanの受験、私自身ka~君の学校の広報部活動、花粉大飛来等、次々と襲いかかる難題に必死に立ち向かっていた頃で、やっと一段落してついにダウン。急性気管支喘息を起こし、何度も何度も病院へ運ばれていました。
そのひと言が、それまで呪縛されていた私の心を解き放ち、大空へ大きく羽ばたくきっかけとなったのです。勉さんにお会いしてなかったら、多分そのまま一介の主婦で終わっていたかもしれません。
*それから10年が過ぎたころ、
突然eizchanが末期ガンで倒れ、7ヵ月半の闘病。頑張るだけ頑張って、5月の爽やかな風に乗って旅立って約一年間、それまで私自身乗りに乗っていた仕事もピッタリと休業していたのですが、ソロソロ自分の新しい道を模索していました。その頃、憔悴の心を癒すため始めた朗読の世界、恵比須福祉センターの講習に通う内に、その一環として成人大学もあり、これも奇跡的に和田勉さんの講義が組み込まれていました。当然10数年ぶりの再会に胸をときめかせて出席。講義終了後ご挨拶すると、「お昼、一緒にどう?」と、間髪いれずお誘いいただき、早速同行することに.....
センターすぐ下にある、シャレた小さなイタリアンで、10数年ぶりの再会を祝して赤ワインで乾杯。初めての出会いからの経過と、eizchanのことを一気にご報告、「あぁ、そうだったの」と、何度も優しく頷き、あたたかく大きく包んで下さいました。
TVで、大声で駄洒落を飛ばすがははおじさんの、紳士的で優しい真の一面を見た思いでした。
お会いしたのは、それでおしまい。
その後すぐ、限定300冊(?)出版の貴重な1冊、心が「がはは」と愉快になる単行本を送っていただきましたが、今しまいこんであるので、いずれお目見えということに・・・。そして、年に1回、勉さん独特の絵とお名前(自書)入りのご年賀状をいただくことになりました。
♪ 勉さん、お会いできて本当にありがとうございました。同じ病気でさぞお辛かったでしょうね。どうか、ゆっくり、ゆっくり、お休み下さいね。私も、もう少し頑張ってみます。 夢凧より ♪
by takozchan
| 2011-01-18 23:47