人気ブログランキング | 話題のタグを見る

光の旅人K-PAXから愛をこめて♪


by takozchan
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

嗚呼、硫黄島!! 「バロン西」その3

2006.11.25

*******
今日から硫黄島の死闘、そして西連隊長の最後他を、3日間に渡りお送り
します。

嗚呼、硫黄島!! 「バロン西」その3_e0099756_1565441.jpg

硫黄島の死闘(1)        「西とウラヌス」より抜粋

9月19日、各部隊に示された「小笠原兵団硫黄島戦闘計画」によれば、
戦車第26連隊は、師団直轄部隊となっている。編制は本部、第1、第2、
第3中隊、歩兵中隊、工兵小隊、整備中隊から成っている。
そして「戦車ハ戦斗初期、戦力温存ニ努メ主トシテ主陣地付近ノ戦斗ニ
協力ス 叉一部ヲ以テ東及北地区正面ノ逆襲支援に使用ス」と云う方針
の下に聯隊の任務が次のように示されている。(細部省略)

  8.戦車第26聯隊
    戦闘初期之ヲ控置レ戦機に投ジ、適時重点方面ニ使用ス
    1. 一部ヲ以テ主陣地前及陣内ノ対戦車戦斗ニ任ズ
    2. 主力ヲ以テ逆襲支援ニ任ジ叉陣内ニ侵入スル敵ヲ撃破ス
    3. 各々一部ヲ以テ対上陸戦斗ニ協力ス

かくて各部隊は鋭意防備を強化し、洞窟式交通路も構築し、日夜訓練に
励んでいた。翌昭和20年2月10日から西戦車聯隊は第一線に出動し、
万部落付近に本部を置いて主陣地の戦斗に任じていた。西は部下部隊
の陣地をよく見廻った。そして酒や煙草を少しづつ配り、冗談まじりの話
をして行くのが常であった。硫黄島に対する米空軍の空襲は一月中には
延、昼間約700機、夜間約180機に及んだ。2月に入ると連日延、20-
30機となり、ナバーム弾も使うようになった。
2月11日の紀元節には各人に珍しく缶詰2、3個が配給され恩賜の酒を
酌み交わした。

昭和20年の2月16日にアメリカ軍の機動部隊から発した延約1000機
の艦載機は関東地方一帯を襲った。この朝、アメリカの機動部隊は硫黄
島海域に進出して同島を包囲し、砲爆撃を実施し、硫黄島攻略の企画は
段々明らかになってきた。その後、硫黄島に対する砲爆撃は熾烈を極め、
同島の草木は裸となり、地形の様相は一変した。

19日朝8時頃、アメリカ軍は上陸用舟艇を以て俄然上陸を始めた。
東海岸の近くの望楼にいた西部隊長の望遠鏡には、隙間のないばかりに
接岸した舟艇が映じた。部下の将兵は申し合わせたように振向いて、隊長
の顔色を見守った。西は明るい面持で「敵さん、いよいよおいでなさったな、
皆んなしっかりやろうなぁ」と静かにいった。沈み勝ちだった将兵は、隊長
のこの一言を聞いた途端に、何時もの明朗さを取戻した。20日早朝来、
兵力約2万と判断される米軍は、主力を以て元山台地に対する攻撃を始め
た。兵団長は、西部隊に南地区への出動を命じた。

22日には、夫人のもとに、西の最後の手紙が届いた。それは2月4日付で
「毎日空襲下に壕生活を続けている。先日、演習中に戦車から首を出した
ところ、電話線に引っかかって骨を痛めた。部下には黙っているから、誰も
知らぬ。しかしこの頃は、夜も眠られない位痛いのだ。何か適当な薬があっ
たら送って呉れ」と書いてあった。夫人は、薬を準備して木更津を発航する
海軍の飛行機に頼もうとしたが、一足違いで間に合わなかった。惜しくもそ
の飛行機を最後として、戦況は硫黄島との飛行機連絡を絶ってしまった。

その頃、硫黄島は空・海・陸から猛烈な攻撃を受け、島の形が改まる程の
惨状が刻々、ラジオや新聞で内地に伝えられた。西が部隊長として働いて
いることも、一部の新聞に報道された。
夫人や御子さん達は、しめつけられるような気持で、日々の情報に注意して
いたが、若しや日本軍とっておきの新兵器が飛出して戦勢を挽回するので
はあるまいかとの淡い望も抱いていた。
しかし、攻撃の手は容赦なくきびしくなってきた。米軍の元山飛行場進出に
伴い、西聯隊長は第3中隊(西部隊>を同飛行機第1・第3滑走路正面に
突入した。26日も米軍は熾烈な砲爆撃支援のもとに、約3ヶ師団を並列して
前面的攻撃を再興した。    つづく




*人気blogランキング*
⇔ 応援お願いします。


         
by takozchan | 2006-11-25 09:14 | *バロン西