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光の旅人K-PAXから愛をこめて♪


by takozchan
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栗林中将&硫黄島

2006.12.6

  硫黄島にも咲くという"月下美人"
栗林中将&硫黄島_e0099756_082462.jpg

スピルバーグ監督の映画「硫黄島からの手紙」(日本版)が、いよいよ
今週末に公開されます。今か今かと楽しみにしている一人ですが。。

遥か太平洋に浮ぶ島・・硫黄島!!

1997年、その硫黄島に軍事研修で行くことが決まり、元大本営参謀
の朝枝氏にお話しすると、一枚のコピーを私に渡されました。
それ以前から戦史に携わる方々と、度々元参謀のご自宅に伺っては、
先の大戦の貴重な話を伺っていたのですが、それはまさに「硫黄島の
激戦を偲ぶ」というご自身の回想録でした。

先日、映画の前に・・と資料を引っ張り出して見ました。
実際にその場に居合わせなければ分からない描写がかなりあり、映画
に先駆けて抜粋を少々ご紹介したいと思います。
栗林中将を演ずる渡辺謙さんにも重ね合わせるシーンがいくつか見つかる
かもしれません・・・。

今は亡き元参謀の家の前には、伺うと必ず真っ青な国連の旗が高らかに
掲げられていました。
21世紀は、すべての国境を取り払い、果ては地球そのものを守るために、
この国連の旗一本の下に集まる真のグローバリズムを・・・と熱く語るその
姿は、今も強く脳裏に焼きついています。

栗林中将&硫黄島_e0099756_23551483.jpg

~硫黄島の激戦を偲ぶ~ 抜粋   元大本営作戦参謀朝枝繁春氏   

マッカーサーは百パーセント硫黄島来襲すべし、と判断した大本営陸軍
作戦課長服部大佐は、課員の私に「君、硫黄島を担当してくれ給え。先ず
防備計画を立案してくれ」と命令された。それは19年の春のことだった。
先ず現地偵察の要ありと、作戦課航空斑にいる同期生田中耕二少佐に
飛硫の便を頼んだところ、早速立川発の司偵1機を手配してくれた。
当時は現在のような電波航法施設のない時代で、洋上航法に不馴れな
陸軍航空では容易なことではなく、立川を発ちはしたものの洋上を右往
左往して、燃料切れ寸前にやっと噴煙を探し当て、硫黄島の滑走路に
滑り込んだ。

第2回目は19年7月日に行ったが、今度は海軍部の作戦部に頼んで、
木更津発の中攻に便乗した。一切の発、受信はご法度で、機上の航法
係は十分ごとに天測航法で機の位置を確認しながら飛ぶので、ピタリと
予定時刻に硫黄島に着陸した。
機中には海軍の航空戦隊司令官として赴任する市丸少将も搭乗されて
いた。
市丸閣下はその後在硫黄島海軍部隊の総指揮官として、栗林兵団長と
共に玉砕された。厚く弔魂の誠を捧げます。
さて、硫黄島守備隊は第百九師団を中核とする小笠原兵団で、兵団長
は師団長の栗林中将だった。私は着陸後直に司令部を訪い作戦打合せ
に入った。

硫黄島は活火山だったので、司令部で借りた軍馬に乗り島内を偵察した
際、私の馬が噴出する硫黄の熱泉に脚を突込んで火傷を負う始末だった。
スコールに頼る天水以外には一滴の水もなく、陸海数百万の兵は洗面の
水はおろか、飲料水にも事欠き、飲料水は父島から海軍の高速輸送船で、
敵潜水艦の跳梁する間隙を縫って輸送する有様だった。
飲料水についで困ったのは、構築物用にコンクリートが打てなかったこと
である。海水ではセメントは固まらない。やむなく戦車埋めて砲塔だけ出
して、トーチカ代用とした。市ヶ谷の参謀本部に戻ってこの実情を話すと、
河辺参謀次長は「弾薬を使って島全体を海中に沈めて仕舞え」と御下命
あり、某学者に研究してもらうと、日本全部の爆薬をブチ込んでも不可能
との御託宣だった。

水についで難問題は、ビタミンCだった。島には僅かばかりのパパイヤや
椰子の実のほか、ビタミンCを補給するものは皆無だった。ビタミンC欠乏
症が続出したので、私は関東軍時代の経験から、ハルピンの731部隊が
研究したビタミンC結晶剤を思出し、これが大量空輸を策案した。
米軍は戦爆連合による日本本土爆撃のため、硫黄島に戦闘機基地を設定
しようと、攻略を企図した。そして膨大な鉄量を粟粒のような孤島に投入し
た。近代戦史に類をみない大物量作戦の前に、陸海数万の勇士も為す術
をなく玉砕してしまった。
当時の日本の国力を以ってしては、栗林兵団長の「航空戦力をよこせ」と
いう悲痛な訴えも、「もっと高射砲をよこせ」という第一戦からの要求にも、
応える術はなかった。
元を尋ねれば、対米十五分の一の国力で開戦に踏み切ったツケが、硫黄
島の戦につきつけられたと言えよう。

私は木更津海軍飛行場付近の農家で、現地へのお土産にと夏の茄子、胡
瓜を大籠に一杯買い込み、また四斗樽を探して、之に木更津の井戸水を満
たして、中攻に載せてゆき、野菜は栗林中将に、水は硫黄島海軍飛行場の
居たピストの連中に贈呈しました。
飛行場ではピストの海軍兵曹が『オーイ内地の美味しい生の水が来たぞ、
皆んな、湯呑みを持って来い』と叫ぶや、忽ち延長百米の兵の列が出来ま
した。粟粒のような小さい小さい島の上にです。行列の末端の水兵の向う
には強烈な夏の太陽にクッキリ浮ぶ紺碧の水平線がありました。
僅か湯呑み一杯の井戸水に、水兵達は喚声を挙げて『うまいぞ』と喜んで
呉れました。丁度今と同じ真夏の暑い厚い一日の事でしたが、毎年の夏には
往時のこの光景を想起し、あの井戸水が、末期の甘露水ともなって、硫黄島
に散華された幾多の御英霊の面影が髣髴と、眼前に浮び、感無量で新た涙
に誘われます。

僅か一籠茄子、胡瓜を栗林中将は副官に命じて何百もの小片にナイフできざ
まされて、それを司令部周辺に居合せた兵達に一片づつ分けられました。
『貴重な本土の生野菜だぞ』とおっしゃられましたが、このささやかな一片の
生野菜の端くれを口にした兵達も、皆玉砕されましたね。栗林中将は一片の
その茄子、胡瓜も自らの口には入れられませんでした。それは私が目撃した
栗林兵団司令部のテントの中の一齣の光景でした。
栗林閣下は極限の緊張下にあっても人間味豊かな部下に対する自愛溢れる
将軍でした。

栗林中将は『アメリカ人を甘く見てはいかんぞ。野球でもアメリカ人は最初
勝つとトコトン迄実力以上に強くなる。対米戦法は初動が大事だ。最初必要と
思われる以上の兵力戦力を準備して、初動でぶっ叩くことだよ。これに誤って
初動に於てアメリカに勝利感を持たすと、後は手に負えなくなるぞ。大本営は
此の点を良く認識して作戦指導をやるべきだよ。特に硫黄島では航空の力が
たらん、思い切って航空戦力を増強する様に、君帰ったら処理してくれよ』と、
私に御注意下さった。
栗林将軍は、ワシントンで駐在武官の御経験もあり、その御訓言は正に至言
でした。



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by takozchan | 2006-12-07 00:00 | *硫黄島